特集2)小松屋製菓
伝統にとらわれ過ぎず、“顧客志向”の挑戦を積み重ねる
時代と共にしなやかに変容する老舗製菓店の守破離
老舗にとって、「変わること」は「変わらないこと」より難しい。しかし、浜松最北の地、水窪町に店を構える小松屋製菓の3代目店主・小松裕勤氏はこの10年間、自社のあらゆる要素を見直し、必要な変化を起こしてきた。そのチャレンジが結実し、今、同店のファンの輪は浜松市外、そして東京にまで広がっている。
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浜松市の最北部、天竜区水窪町に今なおファンを増やし続ける老舗がある。栃の実を使った菓子を売りにする小松屋製菓だ。商店街の一角にのれんを掲げる同店は、林業が盛んな水窪らしく木材をふんだんに使った和モダンなデザインで、年季の入った店が連なる中ひときわ目を引く存在となっている。
3代目店主の小松裕勤氏が店舗の改装と、同時に店名ロゴ、商品パッケージなどのリブランディングを行ったのは、今から10年前。以前とは全く異なる装いとなった新生・小松屋製菓に、当初は地元の人から「近寄り難くなった」などとネガティブな反応を示されたという。しかし、裕勤氏は「必要な変化だった」と意に介さない。
「“おみやげ文化”がなくなりつつある今、箱詰めされた菓子ではなく、自宅用に気に入ったものを数個買っていく人が増えています。客単価が低下し、客のニーズも変化しているのに、それを無視して今まで通りの仕事をしては、いくら老舗でも続けていけません。2代目である父(康徳氏)が新しいものをどんどん取り入れる人だったので、僕も変わることや挑戦することに抵抗がないんです」
▲創業当時は、地域の人から要望があった物を仕入れて売る「村の百貨店」的な存在だった
行動し続けたからこそつかんだビッグチャンス
自社の菓子を売れる形で展開する方法を模索し続けていた裕勤氏に大きなチャンスが訪れたのは、2021年のこと。「店の信頼度を上げたい」と挑んだコンテスト「buyer’s room※」にて、同店の『栃バター』が銀賞に選出されたのだ。
ちょうどその頃、コロナの影響で大手百貨店がオンラインでの商談を受け付けていたため、裕勤氏は片っ端から申し込み、受賞実績をアピールポイントに自社製品をプレゼン。見事、東京の大丸や高島屋での催事出店へとこぎ着けた。今でも定期的に出店しており、そのたびに買いに来てくれるコアなファンの獲得にも成功した。
※全国商工会連合会が主催する審査会型ビジネスマッチングイベント。全国から出品された地域の特産品を流通・小売会社のバイヤーが審査。優秀な製品には賞が授与され、さらに商談の機会が設けられる。
父から受け継いだ「栃」と「水窪」への思い
これまでも時代に沿って変化を遂げてきた小松屋製菓。しかし、菓子づくりにおいては、「材料を妥協しない」「栃にこだわる」という普遍的な軸がある。これは、裕勤氏が父・康徳氏と結んだ唯一の約束事だ。
「製菓店の中でも栃の加工ができる店はごくわずか。この特別な技術があれば田舎の店でも勝負できるはずだ、という父のメッセージだと捉えています。また、栃は合併前の旧水窪町の『町の木』だったので、栃の実を使った菓子と一緒に水窪を盛り上げてほしいと願っていたのだと思います」 とはいえ、より売り上げを伸ばし、店を大きくするのであれば、水窪を離れて市街地に移転するという選択肢が挙がってもおかしくない。実際に裕勤氏も検討したと言うが、最終的には水窪に残ることを決めた。
「遠方から訪れるお客さまから『ここにあるからいいんだ』という声をよくいただくのです。わざわざ足を運ぶことに意味があり、うちの店はもちろん、町で過ごす時間も楽しんでもらえているのだな、と考えるようになりました」
技術や思いを受け継ぎ守る心と、時代や顧客に合わせて変化をいとわない心。小松屋製菓のそんな硬軟自在な姿勢に、勝機をたぐり寄せる秘訣が隠されている。
小松屋製菓
3代目 小松裕勤代表
1926年創業。栃の実を中心に地域の食材を生かした菓子を製造、販売する。代表銘菓『栃餅』のほか『クリーム栃大福』や『栃バターサンド』など、和・洋幅広く展開。3代目の裕勤氏は、都内の製菓専門学校を卒業後、浜松市内の製菓店を経て1998年にUターン。2004年に代表に就任。栃の実を使った菓子の魅力を広く伝えるため、浜松市内および近隣のショッピングモールやイベント、都内百貨店の催事への出店も精力的に行っている。
●浜松市天竜区水窪町奥領家
HP:https://5028seika.com/