
日本では昭和のはじめまで木工機械の丸鋸は輸入に依存していました。修理は輸入問屋から外国商館へ回さなければならず日数がかかるため、新品を買わざるを得ない状態でした。日本の丸鋸の歴史は、まずこの輸入品の再生からスタートします。明治35年(1902)頃、現在の天竜市、遠州二俣町に手引き鋸の鍛冶職人“鍛冶宗”が『丸鋸すき直しその他修理』という看板をだし、輸入丸鋸のすき削り直しをしたのがその始まりです。当時の輸入丸鋸は厚みがあり、発動機もない時代、手で丸鋸を取り付けた旋盤を回して作業をし、1枚を直すのに3〜4日かかるという状態でした。そして明治39年(1906)、現在の天竜製鋸株式会社の前身となる合資会社が機械を導入した、初めての丸鋸工場の操業を開始しました。米国などから搬入されるベニアソーなどを利用して丸鋸の再生を始めました。ここに日本は再生鋸の全盛期を迎えたのです。 しかし大正にはいると第一次大戦の影響で鋸の需要は上昇する一方、再生用丸鋸の輸入は途絶えてしまいました。そこで、天竜製鋸は英国に技術者を派遣し丸鋸製造の技術を取得し、社運をかけ国産丸鋸の製造に着手しました。そして大正11(1922)年、国産丸鋸の第1号が誕生したのです。 その後、丸鋸等切削工具および木工機械の進歩はめざましく、庄田鉄工株式会社が昭和18(1943)年に「10枚刃溝突カッター」で特許を取得しました。これは金属の切削に使用されていた高速度鋼をカッターの先端につけた、すくい角度10度・横すくい角度15度の溝突きカッターです。現在でもこの刃先角度15度というのは、加工に最適な角度として世界の標準となっている程です。続いて昭和30(1955)年には超硬質丸鋸、チップソーを学界に発表。その商品名である「ダイヤソー」はチップソーの呼び名となるほど漫透、日本のテレビやステレオの増産、ミシンの海外輸出の増加にも一役かいました。また株式会社平安コーポレーションもチップソーおよぴチップカッターの製造に着手。こうした遠州地方の木工機械メーカーの技術開発の努力が、職人の技に頼る部分の大きかった木材加工分野において、機械化を実現させ、品質の向上と量産化を可能としたのです。また、熟練した職人でなくても作業ができるようになったことは、木材加工分野における大きな革新であり、わずか数十年の間に日本の木工機械を世界に知らしめることとなったのです。そして木工機械分野の進歩は工作機械へ拡大し、製造業全体の中で大きな役割を担うようになっています。 【もくじに戻る】 |
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